欧州の子供たちを持つ親は、意外と躾に厳しい。
何だか自由そうに見えるんだけれど、子供の社会性を養う、という面においては、日本より秀でていると感じる。
躾、というと語弊があるかもしれない。
日本だと、他人に迷惑をかけない、とか、目上の人の言う事を聞く、とかあるけれど、それではない。学校でも他人に親切に、とか一緒に遊びましょう、とか、それでもない。
どちらかというと、必ず挨拶をしましょう。(それもボンジュール、だけでなく、ちゃんとボンジュール・マダム、とかムッシュ、とかをつけて正しい挨拶をする)ありがとう、さようなら、などもだ。それに、目を見て話しましょう。
学校に行くと、きちんと自分の言いたい事を言えるように、先生は質問したり、意見を聞いたり、誘導しながら計らってくれる。他の子供も聞く習慣を鍛えられる。一緒に質問したり、同意を示したりしながら、会話を進める。
よく、子供が誰かに物をもらったら「あらら、何ていうのかな?」って言っている親を見かける。
子供が「メルシー」って小さな声で言うと、「えっ何?」って聞きかえす。ちょっと大きな声で言っても、「ほら、誰に言っているの?」とその人の方に向かってしっかり「メルシー、ムッシュ」って言うまで、誘導している。
日本だと、親「まあ、ありがとう、は?」子供「ん。ありがと」親「ニコッ」以上。みたいなんだけれど、こちらの人はなかなか粘り強い。
こちらの躾は、他人に迷惑をかけないためにするのではなく、自分自身が生きやすい人生を送れるよう、社会性を身につけるためにしつけている、って感じがする。
子供たちが大きくなって社会に出た時、挨拶がキチンとでき、目を見て話をして、人のいう事をしっかり聞いて、言いたい事がいえる大人になるための躾、これが厳しいと思う。
日本の方が、もっと他人の事を思いやらないとダメなので、ちょっと窮屈な感じだった気がする。
こっちだと、自由な所は自由で、厳しい部分が日本で受けてきた教育とはちょっと違っている気がする。
ベルギーに来た当初は道をすれ違う時に、よく「ボンジュール」って声をかけられて、いつも焦った。その前にちょっと目が合ってるんだと思う。でも気づかず、通り過ぎる時に軽い挨拶が聞こえてくる。何だか返事がすごく遅れた感じで「あ、ボ、ボンジュール、マダム・・」みたいな。
それからは気を付けるようにして、さっと目が合い、とてもリズミカルに挨拶を返せるようになった笑。最近は、人が増えたせいか、知らない人にあんまり声をかける人もいなくなってきたけれど、田舎に行くとまだ時々犬を散歩しているご夫婦とかに声をかけられる事もあるかな?
なぜ、これを思い出したかというと、この前日本に帰った時に感じた違和感。これの原因がわかった。きっと私は会話をしたかったんだ、って思いついた!!。笑(それだけかい!)。
店員さんでも、声をかけられたら、何か返事をしないと失礼な感じになる。
会釈をされると、会釈を返すのが礼儀。
でも、日本だと店員さんの「いらっしゃいませ」は無視する人が多いと思う。
これも無視するのは、ちょっと何か落ち着かないので、「こんにちは」とか言っている笑。
店員さんがマニュアルかもしれないけれど、色々話をしてくれると、なぜかしっかり聞くクセが付いているので(笑)、ついしっかり聞いて、それに対する返事をしなくちゃ、と思ってしまう。
会話したいので、一生懸命聞いてる。こっちの期待している事とマニュアルの答えは、必ずしも一致しない。で、ちょっとイラっとしてしまう。無視すりゃいいのに、目は合うんだよね。だからなぜか聞いてしまう・・・
日本のサービスは素晴らしいと思うけれど、サービスを受ける側はそれが当たり前で、何となく一方通行で、ひたすらしゃべるのを聞くだけっていうのは、どうかな。無視するのが当たり前になってしまうのがちょっと怖い。
電車やバスが騒がしいか静かか、って言うのをどこかで見た事がある。
日本の電車やバスの中は、あまりおしゃべりをする人も少ないし、大きな声を出している人も少ない。携帯もマナーモードが通常なのか、メッセージが主流なのか、これも話をしている人は少ない。
だから、静かか、というと、これがまあ、うるさい。何が、って言うと、機械がめちゃしゃべる。
バスは車掌さんの生の声なんだけれど、まあ、しゃべる。
次の駅を連絡してくれるのはいい。でもそれ以外にも、足元に気を付けてください、とか、止まるまで動かないでください、とか、少し揺れるのでご注意ください、とか、ともかく何かしゃべってる。
それも、1度や2度でなく、ずっと同じ事を言っている。
これも無視するクセが付く原因だと思う。無視するクセがなくなって、話をちゃんと聞かなくっちゃというアンテナが立ってしまった私は、全部聞いてしまうので、うるさくって仕方なかった笑。