百田直樹さん率いる日本保守党のユーチューブがお気に入りでよく見ている。
本当に政治なんかに1ミリの関心もなかった私ですら、今日本で起こっている事の本質を説明してくれるその素直な話しぶりに聞き入ってしまう。一緒にやっている有本香さんも両方とも素晴らしい人なんだけれど、掛け合いが面白すぎて、楽しい♪
政治のお話とは全然違うんだけれど、有本香さんと話していた時に、百田さんが生まれた時代にはまだ冷蔵庫がなかった、って言う話をしていた。彼は昭和30年の前半で有本さんは後半の生まれとのこと。有本さんはたった数年しか離れていないのに信じられない、彼女が生まれた時にはすでにどこの家庭にも冷蔵庫があった、って言っていた。
この昭和30年という時代は、正に日本がどんどん発展していき、世の中の仕組みに大きな変化がでた怒涛の時代だ。
なので、数年の違いで見える景色が全然違う、と言うことが起こりうる時代だったんだ。
実はこれがまさしく私の所と全く同じで、主人がまだ冷蔵庫が無かった、って言う話を良くしていて、私的にはちょっと信じられない感じだった。そう、私の知っている日本にはどこの家庭にも冷蔵庫はあった。数年前にそんな戦後のような状態だったなんて、信じられない。
主人の話からすると、冷蔵庫そのものは存在していたんだけれど、電気で冷やす、と言う方法ではなく、デカい氷を入れた箱?みたいなもので、そこで氷が解けるまでは物を冷たく保存する事が出来る、とい仕組みだったらしい。
で、毎日デカい氷を売るおじさんが「こおり~こおり~」と言いながら行商していたらしい。
なるほどね。でないとそんなにデカい氷、持って帰って来れないよね。
そう、確かに、私が小さい頃も色んなものを売る人がいた。
サツマイモも売りにきてたし、魚屋さんも時々いたと思う。お豆腐屋さんは何度か買いに行った事があるし、新聞を引き取りに来る人もいた。竿竹売りの人も記憶にある笑。その頃はあんなのそんなに売れるものでもないんじゃないのに?って思っていた。でも確かにあの長さのものを買いに行って持って帰る事を考えたら、ちょっと面倒だ。行商はいい案かもしれない。
その辺りは主人とも話があう。
それにたとえば、テレビが無かった、って言われても、まあそうかな、って思える。
だって生まれた時には白黒だったテレビがカラーになって行く様子を知っているからだ。
その流れから想像するに生まれる数年前に発明されたものなんだろうな、って思える。
トイレも水洗になった、って言うのもわかる。
実家も近所も水洗トイレだったけれど、田舎へ行くとまだ肥溜め式のトイレがあったからだ。
お風呂がガスで沸かせるようになった、これも理解できるし、洗濯機が出来たのもわかる。
家に既に洗濯機が存在していたけれど、同時に洗濯板もあって、母は時々洗濯板を使って洗濯物をしていたからだ。
この辺りは想像できるんだけれど、でも冷蔵庫が無かった、と言うのは本当にびっくりだ。
氷を入れる冷蔵庫でも不思議過ぎる・・
いやだったら、どうするの?日持ちしないし、腐るやん!
想像力が追い付かない・・・
そう、なので世のお母さんは、毎日買い物かごを持って、市場へ買い物に行っていた。
食べるだけ買ってきて、大体食べきる。で、翌日また市場へ行く。と言うループだ。
お野菜はお漬物にしたり、お魚を干物にしたりして工夫して日持ちできるような形にして保存したみたいだ。
私の時代つまり昭和30年代の後半にも電気で動く冷蔵庫は存在していたけれど、母親は毎日買い物に行って、「今日の晩御飯」のおかずを買ってきていた。それに、お漬物を作るのも上手だったし、梅をつけたり、キャラブキを煮込んだり、保存食を作るのも上手だった。そうか、冷蔵庫が無かった頃の名残だったんだー。
そういえば牛乳配達、もあったな。
毎朝牛乳を届けてくれる。どこの家にも牛乳瓶入れなる箱が戸口に打ち付けてあった笑。
冷蔵庫が無くても新鮮な牛乳が飲めるような仕組みが作られていたのはそういう事だったんんだ。
冷蔵庫がない時代って言うのは、何となく明治時代くらいのイメージ笑だっただけに、びっくりした。
でも生まれる前は、本当は知らない世界なのだ。
そう思うとちょっと不思議な気がする。