桜の季節になると、私も主人もふわーっと思い出すのが教会のシスター。
そう修道女だ。
昔々のお話なんだけれど聞いて~~!
私たちがベルギーに来た頃、1990年になるちょっと前くらいだ。
とりあえず、生活していくために仏語を学ばないと、ということで、夏季特訓コース?を得て、9月からは週3回くらいの頻度で仏語の学校に通っていた。
当時はこの学校で、夏季コースも含めて受講すれば就学ビザをだしてくれる、という事だったので、ここに決めた。
会社から派遣されたわけでもなく、最初は遊びに来た、くらいの感覚だったので、そのあたりを観光したり、とりあえず仏語を学んで、時々ベビーシッターをやりながら呑気に過ごしていた。
その頃は日本人の数も少なく、ネットとかも今ほど流通しているわけではなく、私はひたすら日本語に飢えていた。暇な時間はほぼ読書に費やし、当時の日本人会には新聞が数種類置いてあり、そこで1週間分の新聞を端から端まで読みつくす(笑)、というのが日課だった。
多分終日仏語を勉強していて、頭が疲れるので、つい日本語に触れたくなる、みたいな循環になっていたのだろう。主人の趣味の映画鑑賞も週一くらいの頻度で映画館に通っていたので、ほぼ上映されている映画も見つくした、くらいの勢いだった。その頃は本当にエンタメ的なものが少なかった。ネットもなかったし、日曜日はどこも全部閉まっているし、何もできない。
でも、生活していく上仏語が必須で、初心者二人では生活のための仏語が十分でなく、うまくいかなかったり、だまされたり、いろんな方を頼ったり、とそこそこ苦労はしていた。
そんな中、いつもお世話になっている日本人会の人から、ユックルにある教会のシスターが仏語を教えてくれる、という情報をもらった!おお、ありがとう。助かるわー。という事で、彼女に会いに行った。彼女は若い頃日本に行ったことがあり、ちょっとした日本ファンで、ほんのわずか(あいさつ程度)の日本語を知っていて、日本人の人とコミュケーションが取れるのを喜んでいた。
暇な私たちは、毎週、バスを乗り継いで、彼女のおうちへ仏語を習いに行っていた。
おうち、というより修道女の方が共同で暮らしているシェアハウス的な場所だった。
私たちが行くと、数名の修道女の方がニコニコして迎えてくれて、初心者の私たちにもわかるようにゆっくり仏語で話かけてくれて、本当に心地よい空間だった。
彼女は当時すでに60を超えていたと思う。かなりお年だったけれど、上背もあり、恰幅良い体形で、にこやかで、刻まれたしわは、年相応の苦労を物語っているように思えた。
いつも他愛のない会話だったり、本を読んでくれたり、何かプログラムに沿って勉強をする、というのではなく、普通に会話する時間だった。
驚くことにシスターたちはこれを無料で提供してくれていた!!
行くといつもリプトンのティーバックの紅茶と、古い缶に入ったビスケットを出してくれる。
これがあのフィンガービスケット。ティラミスの材料になるやつだ。
いつもあのビスケットがその缶に入れられていた。笑。
なので、このフィンガービスケットを見るたびにシスターの事を思い出してしまう笑。
条件反射だ。笑。
で、ちょうど3月の終わりごろだと思う。シスターが「今日は、お天気も良いので、桜を見に行きましょう。日本ではお花見をするんでしょう?素敵ですね。一緒にお花見に行きましょう!」って誘ってくれた。
で、シスターと一緒に外へでて、彼女のお勧めのバスに乗り、たぶん今のWoluweのあたりを走るバスで、バス路線の両側に桜並木が植えられており、そのバスで通り抜けるだけで素敵な桜を両側に見ることができる。
彼女は本当に私たちに話をするときは、一言一言、ゆっくり発音して、しっかり目を見ながら話をしてくれていた。そんなバスツアー?を一緒にして、おうちに戻って一緒にビスケットをお茶を飲んだ。
そのバスツアーが30年たった今でも鮮明に記憶に残っている。
両側に咲き誇る桜、彼女の横顔をゆっくり発音してくれる仏語、それらの記憶がばあっと蘇り、思い出してしまう。
半年か、1年くらいは通ったかな?
それくらいに私は仕事を見つけて、ユックルまでバスで通う暇がなくなってしまった。
その後も時々葉書をやり取りしながら、年一度か2度程度の連絡を取り合っていた。
その後、彼女たちのシェアハウスが引っ越しになり、住所がわからなくなり少し連絡が途絶えてしまった。でも私たちも子供ができ、転職し、引っ越しし、と忙しい毎日を送っていたので、時々思い出す、程度になっていた。
その後、彼女はお年を召され、介護施設みたいなところに入り、安らかに天へ召された、というのをもう一人のよく入り口でお迎えしてくれたシスターに偶然出会って、聞いた。
でも、桜の季節になると、ふとあの日を思い出して、ちょっと涙が出そうになる。